書意観音像刻石

 

作品名前:書意観音像刻石

年代:  唐

書写作者:呉道子

彫る時期:清聖祖玄燁康煕三年(公元1664年)

碑石サイズ:  高:288cm 幅:36cm

拓本サイズ:  高:288cm 幅:36cm

碑石所在地:西安碑林博物館第四室西側西壁北から第一

呉道子について

呉道玄  ごどうげん 

中国,唐の画家。生没年不明。陽占(河南禹県)の人。初名を道子といい,のち道玄と改めた。呉道子の名でも知られる。伝記は朱景玄《唐朝名画録》と張彦遠(ちようげんえん)《歴代名画記》とでかなり異同がみられる。いま後者に従うと,初め雨(えん)州瑕丘県(山東滋陽)の県尉となり,次いで韋嗣立(654‐719)に仕えて小吏となったが,時の玄宗皇帝に禁中に召されて内教博士を授けられ,もっぱら天子の詔勅によって画を制作した。そして最後は,玄宗の兄に当たる寧王(679‐741)の友の官に至った。画は天賦の才に恵まれて,20歳に達しないとき,すでに妙を極めたといわれ,人物,仏像,鬼神,禽獣,山水,台館,草木の広範囲にわたり,秀でないものはなかった。なかでも道釈画を最も得意として精力的に筆をふるい,長安,洛陽の道観寺院の壁画は,延べ300余間にも達した。また山水画は,蜀道嘉陵江の山水をたった一日でかいたことが有名であるが,六朝以来の不合理な画法を改めたいわゆる唐代山水画の変は,呉道玄に始まるといわれる。その結果,唐朝第一の画家はもちろん,顧糾之,陸探微にも勝る画聖とまで称された。活躍の時期は,則天武后時代(690‐704),韋嗣立の小吏として蜀道山水を写し,749年(天宝8),洛陽の玄元皇帝妓に《五聖図》を制作するまで,およそ50年間とみるのが妥当である。

画風は,張僧席(ちようそうよう)の後身といわれるように,初め六朝以来の流暢な描線を基本にかき,のちに壁画などの大画面にふさわしい筆力勇壮な躍動する描線を編み出した。この意気さかんな画法は,同時代の張旭(ちようきよく)の書や将軍裴旻(はいびん)の剣の舞をみて学びとったという。彼の道釈人物画にみられる呉帯当風という衣の描法も,この躍動飛揚する画法をさしたものにほかならない。そしてこの画風は後世に大きな影響を及ぼし,弟子に占悉(てきえん),盧稜伽などを出したほか,少なくとも五代?北宋初期まで,人物画の主流を形成し,朱瑶,王取,王靄(おうあい),武宋元などがその一派にかぞえられる。

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